はろー!けーけー(@comocci)です。
このブログの更新を本格的に始めて、8ヶ月くらいが過ぎました。
そのあいだに50記事くらいを更新しています。
僕がブログを運営して実現したい目的は3つです。
- 普段の日々の生活を面白がれるようになる
- それを人の役に立つ情報に編集する能力を身につける
- その結果でお金という対価を得てさらに生活を楽しくする
まあ少しは基礎体力がついたのか、記事にしたいネタは比較的スムーズに出てくるようになりましたし、基本的には楽しくやれています。
しかし記事の執筆に関しては時間がかかりすぎていて、思うようには前に進めていない、というのが実感です。
IKEAで買ってきた雑な説明書の家具を、深夜にひとり組み立てるような毎日。
文章を組み上げていくのって、こんなに難しかったっけ?
50記事書いた程度ではそんなものかもしれませんが、書けば書くほどドツボにはまっている気がします。
さて、ブログ運営の”がんばり度”を計るうえで、よく目にするのが「1日1記事を更新」というベンチマーク。
たしかに「1日1記事」は目標としてわかりやすいですよね。
かくいう僕もこの「1日1記事」を当面の目標にしているのですが、実際にやろうとするとかなりハードルが高いです。
ですがやはり「1日1記事更新」の出力レベルを獲得することは、僕のような専門性を持たない雑草ブロガーにとって、最初に手に入れられる武器だと考えています。
なぜなら
「試行回数を増やすことは目的達成の戦略として確実にプラスに働く」
からです。
今日はその辺のところを少し深堀りして考えてみます。
「頑張る」とは突き詰めると「試行回数を増やす」こと
このあいだ以下のようなツイートをしました。
僕は36歳ですがもうずっと前から「頑張る」とか「努力する」ってワードは死語になってる気がします。
たとえば会議で「予算に10%届かない見通しです。だから頑張ります」なんて報告したら失笑が起きます。
どんなゴミ案でもいいから具体的に何をするか、までを語れないと何も考えてないのと同じ。
— けーけー (@comocci) February 6, 2019
ビジネスの場で周囲に状況報告する機会がある人には、判ってもらえると思います。
ただの「頑張ります」が通じる場面って、新人の頃くらいですよね?
「目標が未達ペースなので、このあとは頑張ります」
社会人としてある程度の経験がある立場になって、こんな報告をしてたら、ちゃんとした上司であれば「で、お前は何を頑張るの?」と言ってくるはず。
ここで重要なのは「頑張る」ことがダメなわけではなく、「頑張る」ことを具体的な言葉にできてない点です。
では「頑張る」とは具体的な言葉にすると何なのか?
それはシンプルに「試行回数を増やす」ことだと僕は考えています。
「頑張らなきゃ」が頭に浮かぶ期間中は、難しく考えず試行回数を増やす
「頑張る」=「試行回数を増やす」と考えると、途端に具体的になりますよね。
営業であればアポを増やす、接客業であれば店頭での声かけ回数を増やす、笑顔を増やす。
試行回数を増やす、ということは、これまでと同じ確率に対して、ただ母数を増やすということなので、誰にでも出来る最も初歩的な戦略です。
10%の確率で成功する仕事であれば、母数が100だったものを200にすると、10だった成果が20に近づきます。
もちろんモノゴトにはそう単純ではない要素もたくさんありますが、目に見えない要素について考え込むより、まず試行回数という目に見えるモノサシを目印に行動した方が良くないですか?
ここでブログの運営に目線を戻します。
いまの僕は、ブログの運営について漠然と「頑張ろう」としか思えない状態です。
しかし悩みや迷いはありません。
なぜなら漠然と「頑張ろう」しか頭に浮かばない状態ということは、取れる戦略が「試行回数を増やす」しかないから。
「試行回数が足りて無いから、漠然とした戦略しか思い浮かばない」と言い換えてもいいですね。
やることが限られている、つまりやるしかない。明快で分かりやすいからストレスは無し。そして目の前にやることがあるのが、ただただ楽しい。
悩みや迷いが無い、というのはそういう意味です。
「夢が叶ってしまうより、そこに向かっている間の方が幸せ」と言いますが、僕も似たような状態かもしれません。
もちろん目的を叶えるためにできる限りのことをやっていますが。
「闇雲に更新しても無意味」とかいう意見は無視
ところでTwitterを眺めていると「闇雲に記事量産しても無意味」とか「考えてやらないと意味がない」という有難いアドバイスがたまに目に入ります。
ですが率直に言って、1日1記事すら執筆できない僕には、「闇雲に記事を量産できる」あるいは「考えずに記事が書ける」って、もうその時点でもの凄い能力を身につけてるとしか思えないんですよね。
そういったアドバイスは、何も考えずに闇雲に記事を量産できるようになってからありがたく耳を傾けることにします。
上に書いた通り、目的にはそれを達成するために登るべき階段があります。
いま「頑張る」しか思い浮かばないのであれば、それは試行回数を増やすというフェーズにお前はいるんだぞ、というサインだと思うんです。
自分でやってみる、感じたことを数字に落として方向修正、そしてまた試してみる。その経験に沢山の得るものがあるにも関わらず、なぜすっ飛ばす必要があるんでしょう。
失敗してもリスクが殆どないところがブログの強みなのに・・・むしろその失敗もネタにできるのに・・・
100歩譲って、巷に溢れるノウハウ通りにやって成功する可能性が高くなったとしても、僕は自分のやり方を模索して失敗しまくる方が100倍尊いと思いますけどね。
「1日1記事」レベルになるために
とまあ偉そうに書いてますが、念のため繰り返しておくと、僕はまだ「1日1記事」レベルには至っていません。
日本語で文章を書く、つまり「作文」を甘く見ていたと今更ながら気がつきました。
そのために色々と書籍や身の回りの文章を観察して勉強しているのですが、その中でも感銘を受けたのがこれ。
日本語作文の教科書的なベストセラーで、1982年に出版された古い本です。
しかし今の時代に照らしても、内容はすごく普遍的で濃厚。
「良い文章とは読み手にとって判りやすい文章だ」というシンプルな理念のもと、作者が考え抜いた「読みやすい文章作成の原則」がまとめられています。
この本が特徴的なのは「○○が良いでしょう」といったノウハウ一辺倒の書き方ではないところ。
著者と一緒に思考訓練をしている気分になれます。
具体的には「○○と××だとどうだろう?」「○○と△△だと?」みたいな感じで、文中で文章構造の比較検討が詳細に展開されていきます。
そのため読み進めるのはけっこう大変ですが、とても納得感のある内容でした。
具体的な内容はまた別の機会に紹介したいと思いますが、日本語の作文の基本を、実践的に学べる良書だと断言できます。
さいごに
最後まで読んでいただきありがとうございました。
まとめると
- 1日1記事の更新は激ムズだった
- しかし目標は変わらない
- なぜなら今は試行回数を上げるフェーズだから
- 試行回数を増やす戦略は初心者には正しい
- 記事更新のスピードアップのために日本語作文を勉強
次は100記事あたりで振り返りができればな、と考えてます。

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