「納得感」を振り回す奴とは一緒に仕事したくない

はろー!けーけーです。
雑草ブロガーとして細々と人生を送る僕ですが、こんな僕でもそれなりに部下を抱え、社会の歯車として組織の中に居場所を見出しています。

勤めているのはまぁまぁの大きな企業(社員1万人以上)ということもあり、良くも悪くも入れ代わり立ち代わり、いろんな人種が現れては消えていきます。

で、最近ふと気づいたこと。

それは、仕事がうまくいかない人が口にしがちなセリフがある・・・という事実。
そのセリフとはズバリ

「納得感」(なっとくかん/Nattokukan)

今日は、この「納得感」を振りかざす人ってめっちゃ迷惑だよね!問題を書いてみます。

目次

「納得感」を求めてくるモチベーション乞食

あなたの職場にも居ないでしょうか?
仕事を始める前から「納得感がないです」とかなんとか言う人。

僕が遭遇した「納得感」モチベ乞食

先日、自分の部下について同僚がグチりにやって来ました。

曰く、「日々いろいろ発生する仕事に対して、取りかかる前からいちいち『納得感がない』とか『納得してからじゃないと取りかかれない』など部下が言ってきて参ってる」とのこと。

その同僚のことを仮に“大山田課長”と呼ぶことにします。

大山田課長としては、部下が納得するまでしっかり説明を果たして、部の方針に従って前向きに仕事をやってほしいと考えています。まぁまっとうな上司のお悩みですね。

そのような部下の反発に遭遇することは、僕の経験でも確かに遭遇する出来事です。

けーけー
例えるなら、「E.YAZAWA」と書いたタオルが飾ってある乗用車に遭遇するくらいの確率かな。

大山田も大山田で「疑問点があるなら確認しに来てほしい」とか「意見があれば、どんどん言ってほしい」みたいな、オープンマインド醸し出し上司タイプなので、そう言う意味では、「言いに来いっていうから、言いにきてやったんだよ」という健全な関係であり、自分でまいたタネ。であります。

まぁ部下にそんなことを言わせるなんて、そもそもマネジメント能力が不足している。と言えばそれまでなんですが。
ただしここで重要なのは、少なくともそんなセリフを言ってくる部下より、大山田の方がマネジメントとしての素質があるってこと。その差は15倍くらいあるんじゃなかろうか。

ともかく、限りある人材で、組織として考えうる最善の配置がなされているのは、間違いありません。

そもそも「納得感」が用意されてないと仕事できないの?

このように、ある程度の大きさの組織になると、仕事を始める前から「納得感」を安易に振りかざしてくる人が一定の割合で沸いてくる気がします。

そんな人たちに、僕は問いたい。

「この仕事の成功と、あなたの納得感の間に相関関係はあるのですか?」と。

じっさいはそんな言い方すると嫌われるので、「そっかそっかー、で、どうしたらいいの?どうしたいの?君の案を是非プリーズ!あ、もちろんオレの納得感を満たす案でプリーズ!」と笑顔で嫌味をぶつけますが。

すると大抵の場合はどーでもいい事なかれ主義的な対案しか出てこないんですよね。賛成も反対もどっちでも良さそうなザ・妥協案。

タチが悪いと「いえいえいえいえいえ!そういうことじゃなくて!納得感を持って仕事をすることがぁー、○☓¥■?きぃぃ!」とか、「えぇー!それを考えるのが上長の役割じゃないんですか?えぇぇ???」とか抜かしてくるケースもあります。

「納得感」を事前に求めないでおくれベイビー

そんなモチベーション乞食には、ひとことだけ言ってやりましょう。

「君さ、納得感を元手に仕事するつもりなの?それとも仕事を通して納得感を獲得するつもりなの?」

言うまでもありませんが前者、つまり「納得感を元手に仕事する」は幻想です。誤解です。大失敗です。
しかし幻想とか誤解をいくら解こうとしても、彼らは「いえいえいえ!それじゃぁ納得感が・・・」などと言ってきます。

終わらない。噛み合わない。
 
 
 
VRスコープは外して欲しい。

「納得感」とは、誰かがあらかじめ用意してくれるものではなく、仕事を通して自分から獲得していくもの。

お医者さんは苦しむ患者を前にして、納得感が無ければ治療に取りかからないでしょうか?
サッカー選手は、目の前に来たボールに納得感が無ければキックしないでしょうか?

納得感を得るためには、まず患者(ボール)に触れて、あさっての方向でもいいから、自分自身の手で答えを模索しなければ始まりません。

C.ヒルティも『幸福論』の中でこう言ってます。

まっ先に肝要なことは、着手しうるということである。
(中略)
ひとたびペンを手にして最初の一画を書き下ろしてしまえば、あるいはまたクワを手にして最初の一打ちをやりおえてしまえば、事はすでに大いに楽になってしまっている。ところが世間には、着手するにはいつも何かが欠けているといった人々、準備ばかりしていて(実はその背後に彼らの怠け癖がかくされているのだが)、必要に迫られるまでは、どうしても着手するところまでこぎつけえない人々があるもので
(後略)

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仕事を始める前から「納得感が・・・」とのたまう人が19世紀にも居たかどうかは不明ですが、とりあえず人の本質はそれほど変わっていないようですね。

事実。デキる人は「納得感」を得るための「具体論」で挑んでくる

仕事がうまくできない人ほど、やる前から「納得感が…」と言い出すから、一緒に働きたくない

これが僕の主張です。

誤解なきように書き添えますが、「納得感」そのものが無用の長物というわけではありません。
「納得感」は必要な感情であり、追い求めるべき対象だと思います。

モンダイは、自分の殻を破る挑戦をしなくなった人が、「納得感」それ自体を振り回し始める点にあるのです。

野球場やフェスの会場でタオルをぶんぶん回す集団も嫌いですが、もっと嫌いなのは「納得感」をナマの状態で振り回す奴ら。
何でもかんでもナマがいいってもんじゃない。
振り回してるうちに、カピカピに乾いてんじゃん、アンタの納得感。

仕事がデキる人は、「納得感」それ自体ではなく、「納得感を得るために思考あるいは試行した結果」を振り回すもの。

たとえば「〇〇のほうが☓☓より良くないですか?だって…」といった具合にです。
 
 
 
こうやってぶつかって来られたら、言葉を返す気になるんだけどなぁ。

「納得感」を口にする前に、言語化する努力をしよう

もしもあなたが管理する側の人間であるならば、「納得感が…」が口グセの人を見つけたら注視しておいたほうがよいと思います。

また「納得感が…」を自分自身が口に出していることに気付いたら、その違和感を言語化できるまで、自分の中で思考や試行をすべきかと。

僕もエラそうなことは言えませんが、ボンヤリとした「納得感」で攻めてくる人は、仕事の中身もボンヤリしがち。

正解じゃなくてもいいから、とにかく自分なりの理論を組み立ててみる。
それができるまでは、「納得感」はそっと心の奥底にしまっておいて欲しい。

けーけー
現場からは、以上です!
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